テレビにおける再放送について。第1回 4大新聞における”カラー”表示について
 さて。今回から新たに始まるコーナーです。と言って本題は今回じゃなく次回なんです。と言うのは、 まぁ、ネタとなる新聞の縮小版の置いてある図書館を探すのが面倒でね。でまぁ、とある理由で千葉県立 の図書館にあったのでじゃぁやりましょかと言う事になったのでした。しかしだ。見つかったの良いが、その ネタとなる新聞をどのようにコピーをするなどの諸問題があったのでした。でね、前号の告知を見ればわか るとおり一応テレビについて何か語ることになっている。しかし、何をするかはまだ書いていない。別にネタ がなかったわけじゃないのだがまぁ、たまにはこういう事もあると言う事で…。
 今回のネタは、たぶん蘊蓄の世界になってしまうかもしれない。いや、電話口で言ったとしても殆ど面白 くないネタなのでさらっとやります。そのムカシ、テレビが試験放送を終えようやく本放送をやりだした頃。勿 論、その当時だってモノクロだった。しかしだ。技術というのは進化しないモノでして、放送以来20年がたとうとしていたのも関わらずカラー放送に混じってモノクロ放送が混じっていた時期があった。そう、昭和40年 代である(余談だが、全話がモノクロだった為に再放送がされてないとされていた『鉄腕アトム』。しかし、先 日発見したのだが昭和50年の7月第二週から八月最終週まで再放送されていた事が明らかになった。 まぁ、その頃になるとさすがに全日カラー放送だった為、モノクロだったのか、まさかと思うが実写版だった のか明らかじゃないがとにかく昭和五十年の夏休みのブラウン管にアトムが映っていたのはたしかであ る)。これは有名だが、各新聞はテレビ欄にカラー放送の番組に”カラー”と表示されていたのであった。しか し。昭和45年頃ともなるとNHKが全日カラー放送(朝日新聞ではテレビ欄の一番上。つまり、局名の上に” 全日カラー放送”と書かれていた)を始まり、民放でも殆どの番組がカラーになっていた。それでも、夕方に 固まっている再放送や五分ばかりのスポット番組などがモノクロだったのである。そう言うことだったのか当 時、4大新聞は各自色々な方法で”カラー”か”モノクロ”かを表示していたのである。
 まずは毎日から。まぁ、雑に調べたので確認は出来ていないが大体のことは解っていると思う。昭和47 年3月末までテレ欄にカラー表示されていた。うーん、ね。面白くないでしょ?しかしだ。読売がまた、凄 い!カラー表示自体は昭和46年頃に消えたのだが、数少ないモノクロをどうやってカバーしたかというと、 番組名の先頭に☆印を付けていたのである。ね。凄いでしょ?流石に世界一だな。でもこれも昭和48年頃 には消えてしまっているのだった。なんか、もったいないなぁ。つづいて朝日。朝日は素気なく昭和46年12 月末で表示が消えている。でね。4大なんだから産経が来ると思ったでしょ?ところがねぇ。調べた図書館 が悪かったのか産経がなかったんです。そのかわりと言っては何ですが日経を調べました。こちらも、昭和 46年12月末でカラー表示が消えてしまっている。そういえば、日経ってカと表示されていたんです。他の新 聞はカラーとか、まぁ、やっているとキリがないほどバリエーションがあったんです。あと、日経というと他の 新聞は既にテレ欄とラジオとが別々になってさらに、時間も朝の6時から夜中の12時までやっているのにも 関わらず、ラジオと同じように”あさ・ひる”となっていたんですねぇ。まぁ、所詮経済新聞だもんなぁ。しょうがないかぁ。
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